2年。

2年。
母が倒れたあの日から2年が経った。
 
相変わらず父にワガママ言い放題の、各方面に電話しまくりの母だが、こんなこと言うと毎日ウンザリしてる父が怒るだろうが、
本当に母の回復は目覚ましい。
まだまだ自分の我は通すけれども
たまにそうでないと説明すれば、受け入れるようになった。
病後は本当に自分のことしか考えられない状況であったが、今は以前の母を取り戻したのか、自分のことより、人の心配をする。
時間の感覚も、4時起き、18時寝とかから、7時起き、21時寝と、ほぼまともに取り戻した。
数字の計算なんてほぼメチャクチャだったのが、この前話した時に、私の子供時代に習っていたピアノの月謝をスラスラ言ってたのには驚いた。
手術後のリハビリ中、退院後、自宅にて介護する中での父の苦労の日々を思う。
ケアマネジャーにどうにかならないのかと妹が毎日のように相談していた。
その時に彼女に「今はとりあえず我慢して。
時間が経てば状態は良くなっていくから」と悟された。
何を他人事だから我慢してと言えるんだなとその時は一抹の怒りを覚えたが、今となっては本当に彼女の言う通りだったんだなと申し訳なく思う。

2年前のクリスマスの夜。突然の電話に電車に飛び乗り病院に向かい、ベッドに横たわって脳損傷ゆえにイビキをかきつづける母の横で説明をうけ、手術の同意を求められ、そんなことしてる暇に手術はやくやってくれと思って、その日は朝まで手術室の前で父と祈っていた。
ただただ、手術の成功をいのっていた。

クモ膜下出血&脳出血からの右脳挫傷。
一番初めは命の危機。
手術は6時間の大手術。
手術が成功しても植物状態の可能性あり。
植物状態は避けたとしても左半身不随の車椅子生活。
そこまで言われていたのに
前のようにはさっさと歩けないけれど
自分の足でゆっくり歩き、自分の足で二階の自分の部屋に上り過ごし、簡単な食べ物なら作り、後片付けもし、風呂も自分で入る。
 
こんな2年後を想像できたであろうか。

もちろん、以前とは同じような状態の母に戻ることは出来ない。
本当は、母として、相談したいことも少しあるのだが、
それも出来ない。
ばあばに子供を預けてる友達がたまに羨ましいなと思う。
でも、よく考えれば娘は母に十分見てもらったし、今は私がその御礼で、彼女の成長を母に見せる時だと思う。

母が、どこまで以前に近づけるか。
限界はあると思う。ただその限界もバカにしてはいけない。
たぶん、もう少し経てば相談だってできると思う。
別に答えは求めてないんだ、聞いてもらって理解してると確信したいだけなんだけど思う。

本人がやる気があるものはどんどんやらせた方がいい。
でも、やはり後遺症のせいか、臆病になってしまっている。
出来るよ!と力強く言ったと思えば、そんなの無理!と言ったり。
彼女の中でも大きく葛藤しているのだろう。
やりたいのは山々なんだろうなと思う。でも、身体がついていかないんだろう。

でも、、ゆっくりでいいと思う。それでも2年でこんなに回復してるんだから。

あとはなるべく父の負担にならぬよう、周りが出来ることはしてあげよう。

メリークリスマス。

私の中での本当のメリークリスマス。
当たり前のことが本当に当たり前でないんだ。

有り難い毎日に心から感謝すべきだ。

















by maririnx | 2018-12-25 20:41